連載「超・情報化社会を生き抜く──自分らしさを失わないために」
SNSを使っていて、
ふと、どっと疲れたような気持ちになることがあります。
特別に悪口を言われたわけでもなく、
特別に何か嫌なことがあったわけでもないのに、
スクロールを止めたあと、
心に薄いノイズのような疲労感が残ります。
SNSは、「気軽につながる」「楽しく交流する」ために作られたはずなのに、
どこかじわじわと消耗させるものになっていると感じます。
そこには、いくつか理由があると思っています。
情報の洪水に飲まれる
まず、
SNSには「終わり」がありません。
スクロールすればするほど、
次々と新しい投稿が現れます。
読む、見る、考える。
また次の情報、また次の刺激。
自分が本当に興味を持ったわけでもない、
誰かの怒りや不満にまで、
無防備に意識を引きずり込まれてしまいます。
人間の脳は、処理できる情報量に限界があります。
本来なら受け止める必要のなかった感情にまで巻き込まれて、
少しずつ、疲れていくのだと思います。
見えない監視社会
SNSを使っていると、
常に「誰かに見られている」という意識がつきまといます。
- 変なことを言わないように
- 空気を読んで行動するように
- 炎上しないように気をつけるように
たとえ小さなアカウントでも、
知り合いだけしかいない場でも、
無意識のうちに誰かの視線を意識してしまいます。
人間は本来、
四六時中他人に見張られるようにできていません。
それは想像以上に、静かに心を摩耗させていくのだと思います。
「いいね」の呪縛
SNSでは、
「いいね」やリアクションが、
自分の発言の価値を測る指標になりがちです。
- たくさん反応があった投稿
- ほとんど反応のなかった投稿
数字に意味がつくと、
ついそれを気にしてしまいます。
意識していないつもりでも。
本来、
言葉を発することに、
数や評価は必要なかったはずです。
それでも、数字がついてしまうと、
無意識のうちに、
自分の存在価値を他者の反応に預けてしまいます。
それは、確実に自己をすり減らしていく原因のひとつだと感じます。
疲れるのは自然なことだと思う
こうして考えていくと、
SNSで感じる疲労には、
ちゃんと理由があるのだと思います。
これは、自分が弱いからではないし、
人間関係が苦手だからでもありません。
仕組みそのものが、
人間の心に過剰な負荷をかけるようにできている。
そう感じます。
だから、疲れてしまうのは自然なことだと思っています。
次回は、
この「情報社会の歪み」について、
もう少し別の角度から考えてみたいと思います。

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